映画の話

自主映画について語る会 その3 社会に対して言いたいこと

映画の題材は?

映画にする題材について考えてみようと思う。

周りを見渡せば映画にできる題材は結構たくさんあるものだが、その中で脳天をバットで叩くかのような内容にできるかどうかを考える必要はある。
ただ楽しいだけの自主映画ならば、あまり自主映画としてやる必要はないというか、自主映画をやるのであれば、自主映画でしかできない作家性を出していかないといけない。

何か爪痕を残さないと忘れさられてしまうのが自主映画であるし。

俺たちバブル崩壊後生まれ

僕の世代(90年〜91年生まれ)はバブル崩壊後に生まれ、物心ついた頃に阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、10歳で世界同時多発テロ、20歳の時に東日本大震災、そして30になる頃に東京オリンピックを迎えるという世代である。

年齢の節目節目に社会的に大きな出来事が重なることが心なしか多く、バブル崩壊後の日本社会の衰退を目の当たりにし、上の世代のツケを払いながらこれからの日本を担う世代でもある。

そしてゆとりど真ん中で、どの年代からも叩かれまくっているという。(別にゆとりたくてゆとってる訳じゃないのにね)

そんな世代が社会に対して何も言わない、というのはいかがなことか。
下の世代から、あんたたち何やってたの?と言われるのが少し怖いと僕は思う。

だから僕自身としては、なるべく社会に対して言いたいことを映画にしたいなと思った次第なのである。

独特の生き辛さ

しばらくフリーターで生活していた時期がある。
敢えてフリーターというのを経験したといえば聞こえは良いのかもしれない。

上京して早々は正社員として働いていたが、何となくこれでいいや、とかそこそこの生活ができればそれで良いな、なんて気分になった。

しかし、である。
映画を志す人間にとって、満足な生活を送るというのは何か情けないことではないか?
という思いが拭い去れなかった。

満足な生活を送るのが良いのか悪いのかは不明だ。
貧すれば鈍すという言葉にもあるように、生活に追われて映画どころでなくなる気分になったことは確かにある。

それでも、社会に対しての不満だとか不条理なんかを理解せずに映画なぞ作れるものだろうか。
満足な愚者であるよりも不満足なソクラテスであるべきだろう。

一種の四門出遊だと思い、アルバイトをしながら映画を作るという生活を始めてみたのである。

割と早い段階で直面した問題は年金と国民保険だった。
正社員を辞めてから何ヶ月か過ぎると、突如家のポストに年金機構から「早く金払わんかいワレ」という封筒が届く。

本当に舐められたもんである。
自分たちのことは棚に上げ、年金の支払いも滞ってしまうほどの賃金で生活する人々に脅しをかけるのだ。

誰がこんなもん払うか。
払ったところで将来もらえるわけでもないし株に突っ込んで溶かしまくってるし、自分で貯金した方がマシである。そもそもあんな高い金額毎月払えねえわ。

という気持ちでいたのだが、これには少し抜け道が残されており申請すれば免除してもらえたりする。

国民保険に関しては全く何も手続きを行なわなかったので、僕は数年間保険なしで生活していた。病気や怪我をしなくて本当によかったなと今は思う。

というような社会保障制度的なところでいろいろと学ぶことがあった。
実感として、そこまで悪い制度設計では無いとは思うのであるが(免除もできるっちゃできる)、如何せん不親切すぎるところがある。

インターネットで調べることができる時代だからなんとかなったが、もしもネットが無ければ自分で市役所に赴き職員に質問をし、ようやく知ることができるのだ。(役人が親切に教えてくれるのだろうか?という疑問はある)

こういったシステムは教えられたらわかるものであるんだけれど、絶妙な難易度で設定されているため、知らない人は永遠に搾取され続けるのである。

知らないのは自己責任であるのかもしれないが、公正さに欠けていると思うのは僕だけだろうか?

社会保障の他にもフリーターという身分は肩身も狭い。
自ら選んだ道ではあったのだが、明らかに家族や元恋人友人からの扱いが変わった。

なんとなくどこかで毎日笑われているような感じが辛かったのである。
自分の愚かなプライドも邪魔をして。

フリーターに成らざるを得ない人だって多いだろうに。

フリーターという身分に浸け込み、安いバイト代でコンテンツ制作をさせるだけさせて自分たちだけ肥え太るという会社などもあった。(バイトいなくなったらどうすんだろと何度思ったことか)

一度嵌まってしまったら相当の努力をしないと這い上がれなくなってしまうのも事実で、金ない、時間ない、貯金できない、遊べないという負の無限ループが続いてしまう。

そこそこでいいから気楽に生きたいだけなのに。

フリーター生活ではこのような社会の不寛容さを目の当たりにした。

そういった経験をどうにかして映画にし、それを人々に観てもらうことで社会を少しずつかえてゆきたいなと本気で考えていたものだ。

ただ年齢を重ねるとともに、どうにもそれじゃ上手くいかないことに気がつき始めたのである。

その話はまた次回ということで。