台湾編 線から点へ

自分ではない誰か 昆虫放浪記 台湾編 〜線から点へ〜 その11

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ドラえもん号、海沿いを駆ける

懇丁国家森林遊楽区を一通り巡り、少し疲れて来たので退散。
もと来た道をドラえもん号で戻ろうとも思ったが、回り道をするのも良いなと思い、適当に突き進んでみる。

わりかし標高が高かったのか、景色が良い。

少し不安だったのが、下り坂でのドラえもん号のブレーキの効き具合だ。
エンジンブレーキという概念がないので、エンジンを緩めたとろこでちっとも減速しない。
ブレーキを握りしめてもユルユルと少し進む。
下り坂でのカーブが一番怖かった。
そして道も少し荒れていたりする。

15分ほど走っただろうか。
坂道は終わり、海沿いの道を走ることとなった。

車が飛ばす大通りをノーヘルの電動バイクでのろのろ走るわけだが、怖い反面かなり気持ちが良かった。
海風を感じた。

南湾というところへ向かうことにした。





自分ではない誰か

適当な場所にドラえもん号を駐輪し、南湾の浜辺で座り込んだ。

遠くで大学生ぐらいの男子たちがバレーボールをしながら中国語で談笑している。
その様子を見ながら、もし自分が台湾で生まれ育っていたら、なんてことを考えた。

当たり前のように日本語で会話し、冗談を言い合っているが、
もし台湾で生まれていたならば僕は中国語で話をしていただろう。
台湾の学校を出て、台湾で就職し、台湾で一生を終える。
性格も価値観も今の僕とはかなり違っているだろう。

こんなビーチでのんびり暮らせる、ということがなんだか羨ましく思えた。
もちろんそれなりの苦労は絶対にあるはずだが。

自分ではない誰かを羨むことが昔はかなり多かったように思う。
人を羨むことがないという人は、それは恵まれているからだよ、と思う。

ただいつからなのかはわからないが歳を重ねるにつれ、人を羨ましいと思う気持ちが和らいだように思う。
それはもしかしたら自分の運が良くて、恵まれていたことに気が付いたというのもあるかもしれないが、いくら人のことを羨ましがったって、向き合うべきなのは自分自身でしかない。

死ぬ間際になって、人を羨ましがるだけの人生だったと思うのは絶対に嫌なことだ。

何をもって満足とするかは悩むところだが、満足のいく人生を送りたいものだ。

つづく