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深夜特急に乗って
さて、駅には着いたものの切符の受け取りに手間取ってしまった。
チケット売り場的なところでバウチャーを見せたのであるが、何度かたらい回しにされた。
どこやねん?と強めに聞くと、奥まった場所やで、と言われたのでチケット売り場らしくないところへ来てみると、そこで切符を受け取ることができたのである。
時刻は22時。
ギリギリのギリギリで列車に乗ることができた。
随分と奥の方の車両へ案内された。
中に入ると2段ベッドが2組ある部屋が並んでいた。(わかりにくい写真で申し訳ない…)
残念ながら2段ベッドの上側を指定されてしまった。
高所恐怖症なんだがなぁと思いつつ、しぶしぶベッドの上にあがる。
足をかける場所がよくわからず戸惑っていると、僕のベッドの下側のおじさんがベッドの上がり方を教えてくれた。
部屋はおじさんと二人きりだった。
もう片方のベッドには誰も来なかった。
電車はゆっくりと走っていた。
300kmの距離を6時間ほどかけて進む。
部屋の電気が眩しいのと、おじさんのいびきが大きくて眠れなかった。
ようやくうとうとし始めたなと思っていたら、僕の足を誰かが叩く。
乗務員が向こう側の下のベッドに移れとジェスチャーをする。
いやいやおいらはようやく眠りについたところなんやぞ、と思ったがしぶしぶ下のベッドへ。
完全に目が冴えてしまった。
特にすることもないので、上のベッドの底面をずっと眺めていた。
人生を狂わせる本
もう死んでもいいや、なんてことを考えるのが昔は多かったように思う。
もう死んでもいいや、という気持ちから始まり、もう死んだも同然だからやりたいことやって死のう。
よし、映画作ろう。どこかへ旅をしよう。
気がつけば、こんな思考回路ができあがっていた。
どちらかといえば、映画作ったり旅をしたりしてから死のうという考えのような気もする。
なぜ「映画」と「旅」なんだろうと考えた時、読んだ本に影響されていたのだということに気がついた。
人生を変えた本と言えば聞こえはいいが、もしかしたら人生を狂わせた本であるのかもしれない。
映画についていえば、僕が大学のサークルで自主制作映画をやっていたこともあり、園子温の『けもの道を笑って歩け』には大分影響されたと思う。
この本を読んだのは学生のときで、園子温的な生き方を求めて大学バックれてしまおうとか本気で考えて色々な人に迷惑をかけた気もするがちゃんと大学卒業して良かったなと何度も思うのであります。
とはいえ大学を卒業してから上京して、自主映画で食っていこうと思わせられてしまった本である。結局痛い思いをしただけに終わったような気がするが。
年齢を重ねるにつれ、僕は園子温にはなれないんだなぁということがわかった。
自主映画の話はいつか書こうかなと思う。
旅についていえば、読んだ人でバックパッカーに憧れを抱かない人はいないであろう、沢木耕太郎の『深夜特急』である。
この本を読んだのも学生時代であったが、正直この本を読むのが遅すぎた。学生時代の終わり間近だったからだ。
もっと早い時期に読んでいれば、人生の夏休みである学生時代にいろいろな国へ行けたはずなのだ。
とは言え著者の香港からロンドンへの旅は26歳のときのものだ。学生がする旅とは全く違う。
きっと、そこそこの大人になる前に行く海外ひとり旅は格別なんだろうということを思わせられた。
本を読み終えた後、友人にポロっと「旅がしたい」と言ったことがあるが、自分なんて探してもどこにもいないよと言われた。
その言葉はあまりピンと来なかった。
自分探しではなく、今まで見たことのない風景をこの目で見たいと、この本を読んで強く思うようになったからだろう。
僕が自主映画はもういいや、という気持ちになったのは26歳のときだった。
そのあと昆虫を探しにマレーシアへ旅に出た。
自主映画なんか作らずに旅をすればよかったと思うことはよくある。
しかし逆に昆虫探しの旅を26歳から始めて良かったのかもしれない。
僕は沢木耕太郎になれる気がするからだ。
つづく