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ベトナム人モン族のパンニさん、イスラエル人カップル、チビの日本人の4人珍道中が始まったのである。
雨が降り始めていた。
パンニさんの案内と共に、道なき道を突き進む。
こんなあぜ道を進んで行くのかい〜?
と思いつつ、こけそうになるところを他のモン族の人に助けられながら突き進んでゆく。
お米の匂いがする。
なんとなくではあるが、日本の原風景に近い雰囲気を感じた。匂いが特に。
ガイドの案内のおかげで自力で行けない場所へ行けるのは良いのであるが、虫を見つけてしまった時に置いてきぼりになってしまうのがどうにもよろしくない。
クベラツヤクワガタのメスがいてしばらく写真撮ろうとしたが、少ししか撮れなかったのである。
とはいえ、パンニさんはモン族の生活や文化について色々な説明をしてくれた。英語で聞き取れない部分も多々あったが。
サパの冬は厳しいようだ。
標高が高いので雪が深く積もる。
そのため冬に備えて食糧を準備しなければならないが、自給自足だけではどうにも間に合わないらしく、観光客を案内し民芸品を売って金を稼いで食糧を確保しなければならないそうだ。
観光民族的ではあるのだが、かと言って自治体に支援されているとかではなく、完全に自分たちの歩合で生計を立てているようだった。
サパに来てからしつこいぐらいにモン族の女性たちに「お土産買ってくれ」と言われたが、彼女たちは必死だったのだ。
英語を話す子供たち
小さな売店で休憩をしていると、小学校低学年ぐらいの女の子が近寄ってきた。
何も言わずミサンガのようなものを僕の目の前に差し出し、英語で「10,000」とだけ言った。
日本円にして50円程度だったので、一つ買うことにした。
女の子は「Thank you.」と言うと僕から離れていった。
簡単な英語ではあったのだが、母国語以外の言語を使って観光客相手に小さな子供が商売をしなければならないのである。
英語ができなければ生きていけないのだ。
サパには小学校があったが、ミサンガ売りの少女は明らかに学校に通っていないようだった。
あんなに小さな子が学校に通うこともできず、生きるために英語を学ばざるを得ないのだ。
少女が持っていたミサンガの束を全部買い取ってしまえば、美味しいものでも少しは食べられるだろう。
貧乏旅行をしている僕にとって買い取ることなんてできやしなかった。
小さな飲食店でお昼ご飯を食べていたときには、3・4人の子供達が僕らを囲い込んでお土産を売ってきたのである。
イスラエル人カップルは困ったような顔をしてお土産を買うのを断っていた。
ミサンガ売りの少女は他にもたくさんいるのだ。
僕にもっとお金があればなぁ。
根が深い問題
サパの村を案内してくれたパンニさんのような愛想がよくて英語も上手な人は、都会でも十分に生活していけるだろう。
今の生活を捨てて、都会で豊かに暮らしていく方がむしろ楽なのかもしれない。
そんなことぐらい当人たちはわかっているだろう。
それでも代々受け継がれてきた伝統的な生活を守っていくのだ。
伝統について、僕はこう思う。
生まれ育った土地の伝統は、後世が必ずしも守らなくてはならないものでは無い。
親自身が伝統を継ぐ継がないは自由意志によるものであるが、子供に義務として継がせようとするのは何か違うように思う。
子供は、生まれたくて生まれたわけではないからだ。
親の自由意志によって子供を産んだのであるから親は子供を育てる義務があるが、子供が親に対して孝行しなければならない義務は無い。
ミサンガ売りの少女たちが学校に行けないのは、親がそもそも学校へ行く価値を見出せず、働いてもらった方が楽に生活できるからだ、という側面も少なからずあるという。
子供は、子供の意志で生きていく権利がある。
生まれたくて生まれたわけではない?
高校の倫理の授業で実存主義(人の存在って何?みたいなのを考えるやつ)を勉強した時、かなり悩んだことがあった。
世の中の生きとし生けるもの全てに存在理由など無い、ということだ。
何もかもが偶然の産物で、交配によってただ生まれただけであり、全てのものに特別な意味など見当たらず死に向かっていくのみ。という絶望である。
当然自分が生まれてきた意味も無かったのだという思考に直結した。
僕はたまらず昼休みに数人を相手に「人生は絶望である」みたいな講義をした(ちょっと盛ってます)
それを適当に聞いていた一人の女の子が言ったことばに僕は少し救われた。
「いや、生きる意味って作るもんでしょ?」
つづく