クリストファー・ノーラン久しぶりの新作ということでずっと楽しみにしてきたのであるが、当初日本非公開のままずっと突き進みそうだった本作。
ようやく観られたということで期待は爆上がりだったんだけれども、「うーむ」というのが正直な感想。
原爆やオッペンハイマーの苦悩だとかノーラン先生の訴えたいことだとか世界に問いただしたいことはド直球に誠実さがあった。
ただ、1本の映画として捉えると構成だとか人物描写が結構ごちゃついてて非常にわかりにくい。
そもそも登場人物が多すぎるのに(史実だから予習してこい!ってか?)、時間軸が入れ替わって同じ人物が歳を取って出てきたりするもんだから、観客としては覚えなきゃいけない人物が2倍になってしまう。あれこいつ誰?状態が終盤まで続く。
さらに人物の掘り下げも少ない。恋人とくっついて別れてまた別の人と結婚して、という件りなんかは体感5分ぐらいだったろうか。
全10話ぐらいのドラマの総集編を観ている気分になった。
そもそも時系列を弄る描写に意味はあったのか?
最後の最後に原爆の実験シーンを持ってくるならばまだ弄りがいがあったとは思うが
聴聞会のシーンが終盤だらだらと続くので、だったら最初から時系列順にわかりやすくしてくれよと。
ノーラン先生は時系列を弄って描写するのが好きなのだが(メメントとかテネットとか)、
時系列弄る系の話は1回観てみてわかりにくくても結局面白かったという前提があって2回目も観たいってなる。これはメメントとテネットに大いに当てはまる。
今作はダンケルク同様に時系列弄らずに順番にやった方が良かったんでない?と思う。
わかりにくくて尚且つ長いという気持ちが勝ってしまった。もう一回観ようとするもこれを3時間かという気分になってしまうかもしれない。
と色々と思ったけれども、この映画の本質的な部分(原爆やオッペンハイマーの苦悩)には考えさせられることが多かった。
・ヒロシマナガサキでの描写が無いこと
映画の中でも語られていたことだが、兵器の威力は実際に確認しないとわからないということ。核兵器も実際に使用されるまでは机の上で鉛筆なめなめして想定した威力だったということが妙に恐ろしい。当たり前だが。
現代ほど映像や写真がすぐに確認できる状態ではないので、当時核兵器が使用された後でも核兵器がどの程度の威力があったかというのを本当に理解できたのはほんのわずかだろう。
原爆投下後オッペンハイマーが讃えられるシーンはかなり残酷に映った。
東京大空襲で10万人の死者、世界最強の最新兵器2発で21万人の死者と数字で言われてピンと来る人なんていただろうか。
想像するだけでは駄目だという考えにゾッとした。
戦争のことを考える時に現代では映像も写真もすぐに見ることができて、どの程度の被害があったのかなどは昔よりも理解しやすくなったのは良いことではある。
原爆の被害だってこの映画を観なくても調べればいくらでも出てくる。
わざわざ描かなくてもみんなもう知ってるでしょ?と。
簡単に見ることができる分、逆に想像力が無くなってきてんじゃない?
知っているくせに想像もできないのかい?
そんなメッセージをノーラン先生から突きつけられた気がした。
・核抑止論について
アメリカでは原爆を投下したことは戦争を終わらせるためには正しかったという見方が多いようで、日本への原爆投下に次いで核兵器のおかげで冷戦下の米ソが直接衝突することがなく平和が実現したという事実が大きいのではないだろうか。
核の抑止力が無ければキューバ危機でどうなっていたかはわからない。
結局のところ核保有国同士の脅し合いでしかないのだが、それで平和を実現してしまっている。日本もアメリカの核の傘で平和を享受していることを忘れるべきでない。
日本では核兵器に対する認識がヒロシマナガサキでの被害のみに限定されてしまいがちだが、原爆投下後からキューバ危機への流れなどはもっと知っておく必要があると思う。
参考図書
増補新版 世界標準の戦争と平和: 初心者のための安全保障入門
しかし、核抑止論は万全か?
キューバ危機で核兵器の使用がされなかったのは当時の為政者がお互い譲歩しあったことと何かしらのエラーが起きなかった幸運にあるのではないか?
『博士の異常な愛情』『未知への飛行』にあったようにどこかでボタンの掛け違いがあれば世界が破滅していた可能性は高い。
妄言じみてはいるが、AIの台頭で人間は滅ぼすべきだと判断され核を落とされるだとか狂気の為政者が核のボタンを押してしまう可能性が無いとは言い切れない。
絶対安全と言われ続けていたものが事故を起こしたということも実際にあったのだし。
・人種問題
ロバートダウニーJrのアカデミー賞授賞式でのアジア人軽視ともとれる振る舞いが話題になったが、よりにもよって日本に落とされた原爆がテーマの映画だったから尚更である。
日本が原爆の標的になった理由の一つとして人種差別的な考えがあったという意見を持つ人も多い中で、彼の振る舞いは「白人って今でも黄色人種のことを透明にしか見てないんだな」ということを思わせてしまっただろう。
それ以前にもバービーとオッペンハイマーのポスターを組み合わせたものが問題になったりと、何かと人種問題と切っても切り離せない映画となってしまった。
いろいろと思ったことはあるのだが
だんだん考えがまとまらなくなってしまったので一旦筆を置きたい。
とりあえず映画自体の面白さには疑問符がつくが、核兵器やこれからの戦争について考える上では意義のある映画なのではないでしょうか。