台湾編 線から点へ

心配されすぎ人生 昆虫放浪記 台湾編 〜線から点へ〜 その5

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高雄まで向かう新幹線

新幹線は新竹市に停車した。
思いのほか下車したした人が多く、僕の目の前の席が空いた。

座れてよかった。
コンビニで買ったおにぎりを取り出し、食う。
そぼろがボロボロとこぼれ、カバンの奥深くへ沈んだ。

窓の外を眺めながらここ何時間かのことを考えていた。

正直なところ今回はリサーチをしすぎたように思う。
行き当たりばったりのドキドキ感がなかった。
リサーチせずとも、いざとなれば筆談で聞けばよかったのである。

そして、リサーチをした割に荷物の準備をしなさすぎた。
飛行機に乗り込む時の高揚感もなく、近所の山へ虫撮りに出かけるような感覚が抜けなかったのである。
準備するときのわくわく感を味わう、というのを完全に放棄していた。

旅は準備をするところから始まるものであるよ。

やはり電車は眠りやすいのか、
気がついたら高雄(左營駅)に到着してしまっていた。

寿山国家自然公園へ

高雄で1泊するか否かで相当悩んだが、通過するだけに留めた。
せっかくなので、左營駅周辺を探索することにした。

こんなところにも三越があるんだなぁ。

すげえポスターだったので何となくパシャり。

ちょっとした小道には牛の置物が。

なんなんだこいつら。

三越のフードコートで腹ごしらえをしたあと、
寿山国家自然公園へ向かった。

公園へ向かう道中に民家があった。
民家の前には野犬らしき物体がタムロしていた。

台湾で野犬に噛まれた人が亡くなっただのそういった話をオカンから聞いていたのでルートを変えて回り道することにした。




心配されすぎると何かが拗れる?

男子にしては過保護に育てられたように思う。
まぁ大事にされて育ったとでも言おうか。

そんなに悪いことをした覚えはないのであるが、かなり心配されながら育ってきた気がする。
怪我するから木に登ったらいけませんよ、とか危ないことしちゃいけませんよと散々言われた。

愚直にも僕はオカンの言いつけを守り、木にも登らなかったし危ないことは何一つしなかった。(多分)
オカンに何か言われるからという理由で、挑戦をしなかったことが結構あったように思う。

そりゃただ単に自分に言い訳してるだけでしょ?という人もいらっしゃるであろう。

半分正しくて半分違うと僕は言いたい。
流石に大人になってからいつまでも人のせいにするのはみっともない話であるが。

あまりにも心配されすぎると、挑戦する意欲を失わせてしまうことにもなると少し思う。
何をするにしても心配されるので、その「心配される」ことが面倒だと感じるようになり、結果として挑戦すること自体が億劫になってしまう。

必要以上に心配してその人の可能性を削ぐようなことがあってはいけない。

時と場合に依るのかもしれないが、
心配することはその相手に対して信頼をしていないことと同じでもある。信頼していないから心配しなくていいようなことまで心配する。

いろいろと人の心配するのもいいが、もしもがあった場合にどういう立ち回りをするべきかという話をする方が建設的だとは思う。

心配されがちな人は、もしもがあったときの立ち振る舞いを、心配する人によく言って聞かせるべきなのかもしれない。

結局のところ、「もしも」のリスク回避を論理的に考えず感情的に捉えてしまうのが心配ってものだ。

と、最近スズメバチに襲われそうになった僕は考えた。

まあ流石に校舎の2階から飛んでやるぜみたいなことをする奴を心配しないのはおかしな話だが、それはまた別の問題ではある。