マレーシア編 コノハムシを捕まえろ

昆虫放浪記 -コノハムシを捕まえろ- その1 マレーシアへ




ユーは何しにマレーシアへ?

コノハムシという昆虫がいる。

この画像のように木の葉そっくりの昆虫である。

僕は昔からこの昆虫に憧れを抱いていた。

両親が教育熱心だったこともあり、小さな頃から色々なことをやらされた(合唱団、水泳、ピアノやら楽器)
子どものためなのかそれとも両親自身の趣味なのかはっきりしないところではあるが、実家には本やらpcソフトなんかがそこらへんに散らばっていた。
親に強制されたと僕が感じてしまった習い事は成長過程で「やりたくないもの」に変化してしまったが、親の趣味で子どもに強制することが無かったもの(父の趣味の写真、母の趣味の映画鑑賞)が僕にとっての「やりたいこと」となった。

僕の昆虫好きの原点は、そこらへんに散らばっていたpcソフトにある。
昆虫写真家の海野和男著「マルチメディア昆虫図鑑」という教育ソフトがあった。
様々なゲームを通して海野和男が撮影した世界各国の昆虫を見ることができるという内容でベストセラーにもなっていたそうな。
発売当時はインターネット黎明期ということもあり、世界を知るためには今のように検索するのではなく、本で調べたりする必要があった。
当然その頃幼稚園だった僕に世界を知るなんて不可能なのだが、このソフトは世界への扉をノックしてくれた。

そのパッケージ写真がコノハムシなのである。

いつか、野生のコノハムシを見てみたい。
僕にとってマレーシアは憧れの国となっていた。




世界への扉

午前中に仕事を適当に切り上げて、僕は家へ帰り出発の準備をした。
海外への旅ということもあって胸が弾んだ。

実家のスポーツ用品店で安く買った50リットルぐらいのバックパックに、1眼レフ・コンデジ・ビデオカメラ・その他必要なものを詰める。
背負う。
重すぎる。
滅多に行くことのできない異国の地を動画に収めたいという気持ちもあるが、重さのせいで肝心の昆虫撮影ができなくなっては本末転倒だ。
動画撮影は諦めることにした。
その他の退屈しのぎグッズも持っていくのをやめた。マレーシアに行ってまでそんなことをする必要はない。

羽田空港へは東京モノレールを使う。
京急を乗る方が料金は安いが、東京の夜景を見ながら空港へ行く方が気分が上がる。

実際のところ僕は不安だった。
大学の研修でインドネシアへ行ったときにエアアジアを使ったことがあるが、航空券の印刷やらチェックインの方法がなんとなくフワフワしていて、本当にマレーシアへ行けるんだろうか、行けなかったらどうやって行ったふりをしようか、なんてことを考えていた。

しかしそんな心配する必要はまるで無かった。
ウェブチェックインしてeメールに届いた搭乗券をセブンイレブンのネットプリントで印刷し、それを荷物預かりカウンターのとこで見せればいいだけだった。

荷物預かりカウンターに並ぶ列の中には様々な人がいた。
日本人はもちろん、中国系、インド系、イスラム系。
中でも一番印象に残ったのはニカーブ(目だけ見えるようにして頭を覆う布)を被ったイスラム教の女性とその家族だった。
女性の夫、まだ幼い息子と娘の4人でマレーシアへ向かうらしい。
僕が日本でニカーブを被った女性を見たのはこの時が2回目だった。
初めて見たのは仙台のスーパーで買い物をしていた時だ。
言い方は悪くなってしまうが、その物々しい衣装には正直驚いてしまう。
顔が見えないため、無口で威圧的な女性なのだろうと勝手に想像してしまっていた。

僕の想像など知る由もなく、はしゃぎ回る子供たち。
よく耳を傾けると日本語ではしゃいでいるではないか。
おそらく日本人の子どもと同じように幼稚園か保育園かに通っているのだろう。

そんな子供たちを何語かわからない言葉で注意する女性。
当たり前のことではあるがニカーブを外せば、どんな国でも変わることのない一人の女性、一人の母親だ。

島国で単一民族である日本では、自分たちとは異なるものを排除してしまいがちだ。
それは潜在意識下まで刷り込まれている。
「ハーフ」「クォーター」という言葉に違和感を抱いている人がどれだけいるだろうか。
日本国籍を持ち日本語を話していたとしても、肌の色やバックグラウンドが少し違うだけで特別扱いをしてしまう。
「日本民族=日本人」という意識が根強いのは、スポーツで日本人として活躍するハーフ選手への風当りを見ればよくわかる。
日本が保守的な島国である以上「日本国籍を持つ=日本人」という意識になるのはほぼ無いことだろう。

「民族」というものを否が応でも考えさせられる。
羽田空港は、まさに世界への扉だった。

とはいえ、マレーシアに到着してから更に僕は「民族」について考えさせられることになるのだが。

つづく