映画の話

コロナ自粛。こんな時期だからこそ観たい絶望映画4選

皆さんお元気してますか。

今回は観たら絶望感に襲われる映画を紹介したいと思う。

こんなご時世に絶望かい、という気もするが
逆にこんな時期だからこそ観る価値のある映画もあったりするわけでして。

気分が落ち込むときには下手に元気づけるようなものを摂取するんじゃなくて、地の底まで気分を落とし込んで、もはや上がるしか無いのかというぐらいになるのも割と良い考えのようにも思える。(どっかのバットマンもこんなことを言っておりました)

ということで何本か紹介したいと思う。

ダンサーインザダーク

映画.com

監督 ラース・フォン・トリアー
主演 ビョーク

目の病気で視力を失いつつある女性が歌の力で前向きに生きようとするというミュージカル映画。
二度と観たく無い映画に挙げられることの多いダンサーインザダーク。
ビョークが主演だったりするので、一見ほんわかしたミュージカル映画のように錯覚してしまうわけなんだけれども、物語が進んでいくうちに、これでもか!これでもか!ってぐらいに主人公が追い込まれるわけであるが、それを観る観客の心もボコボコになる。僕はあまりの理不尽さに観ていて笑いがこみ上げてしまった。
そんな映画。

ジョーカー

image ワーナー ブラザース

監督 トッド・フィリップス
主演 ホアキン・フェニックス

アメコミヒーロー、バットマンの宿敵ジョーカーの誕生を描いた映画。
ジョーカーもある意味でダンサーインザダーク。っていうかほぼダンサーインザダーク。社会の理不尽さを体現したような映画であるが、ダンサーインザダークを観た後にジョーカーを観るともしかしたらスカっとしてしまう可能性がある。
この監督はコメディばかり撮ってきたような人なのだが、やはり恐怖と笑いは紙一重なんだろうなってのがよくわかる作品。
こちらに自分なりの考察を書いたのでジョーカーを観終わったら読んでみてください。

映画『ジョーカー』の感想と考察まとめ映画『ジョーカー』を見てきたので、その感想と簡単に考察をまとめてみた。 下のになるとネタバレも含みますので、観てない方はご注意ください...

炎628

映画.com

監督 エレム・クリモフ
主演 アレクセイ・クラフチェンコ

第二次大戦下のソ連の小さな村を舞台にした戦争映画。
終始不穏な音楽が流れ続け、演者が無駄にカメラ目線で我々に何かを無言で訴え続ける。不気味。
そしてナチスの残忍さよ。
恐怖によって主人公の額にはシワが刻まれ、人相が最初と最後では全然違って見える。
観てる時にはそこまで怖さは感じなかったのだけれども、観終わった後にふと炎628を思い出すと何かゾワっとしたのである。

希望の国

映画.com

監督 園子温
主演 夏八木勲

東日本大震災からX年後、再び日本は巨大地震に襲われ長島県にある原発が爆発。
故郷を捨てざるを得なかった家族を描いた映画。
この映画が公開されたのは震災から2年が経ったぐらいの時。福島第一原発近くで農業を営んでいた人そのものをなぞらえていて一応フィクションではあるのだが、あれ、やっぱり現実に起きた話なんだよな、という気分になる生々しい映画。
震災から10年近くになろうとしているが、この「希望の国」よりも現実は酷いことになっている気はしている。
監督をした園子温が一年前ほど前に心筋梗塞で倒れたというのは結構心配なニュースであった。

映画よりも酷いこと

映画よりも酷いことが現実に起きている、と感じることが多くなった。
ただ、そもそも「映画よりも酷いことが起きている」と感じるこの価値観は比較的新しいもののように思う。
戦後間もない映画なんかを観ると、戦争の爪痕のようなものが生々しくスクリーンには映しだされている(『ゴジラ』での人々が逃げ惑う様子は戦争そのもの)。

戦争の爪痕が生々しく映し出されてはいるが、やっぱり現実よりも酷いことって映画じゃ起こらないよね、という安堵のようなものもあるように感じる。(コジラなんかいないもん)

一昔前は戦争のような酷い現実を経験した上で映画が作られ、それを観る人々も酷い現実を経験した上で映画を鑑賞していた。

今我々が生きている時代はこの逆で、酷い絶望映画を鑑賞した上で現実を経験しているわけで、これがつまり「映画よりも酷いことが起きている」と感じることだ。

それを反対にすると「現実よりも良いことが起きている」になる。(合ってんのかこれ?)

酷い現実がこれから待ち受けているとするならば、下手にハッピーエンドの映画を観る方が絶望してしまうんじゃなかろうか。