マレーシア編 コノハムシを捕まえろ

人との距離感 昆虫放浪記 -コノハムシを捕まえろ- その5

前回の記事はこちら。

サイケデリック洞窟 昆虫放浪記 -コノハムシを捕まえろ- その4前回の記事はこちら https://vagabondofbugslife-jpn.com/2018/08/26/malaysia0...

混んだモノレール

バトゥ洞窟を歩き回り疲れていたこともあって、早めにチェックインしようとBooking.comで予約していたホテルへ向かう。

ちょっと前だと旅行代理店を介して予約とかするもんだから、べらぼうに高いお金を払って融通の利かない予約をせなにゃらんかったが、便利な世の中になったもんだ。
安い宿がサクッと予約できて宿泊前日までならキャンセル料が取られないのはありがたい。

ということで、KLセントラル駅に戻ってからモノレールでホテル近くのインビ駅に向かう。
券売機でトークンを買う。
料金が1.5リンギット(50円ぐらい)というめちゃくちゃな値段に驚いたのだが、どうやらお釣りが出ないらしく窓口で買うことに。

窓口にはインド系の女性がいた。
「インビ駅まで行きたいんやが」
「あそこで買いな」
「いや、お釣り出えへんのや」
「ああ?じゃあ両替するから買ってきな」

なかなかの塩対応である。
まあ独立記念日という祝日に働きたくない気持ちもわかる。

トークンを買い終えてモノレール乗り場へ向かおうとしたとき、一人の男性とすれ違う。
僕は壁の近くを歩いていたので、僕が壁側に寄ればその男性は広い方を通過するだろうと思っていた。

しかし違った。
何故か僕と壁の間を「ごめんよ」と言いながらすれ違う。

お前そっち通るんかーい。

モノレールに乗った。
そこそこの込み具合ではあるが、東京の満員電車ほどではない。

僕が立っている横にはヒジャブを被ったマレー系の3人の女学生たち。
そのうちの一人がやたら近い。

チラろと見るとなかなか可愛らしいではないか。
おい。そんな密着するほど混んでねえぞ…?
まったく…

なーんてことを考えつつモノレールからクアラルンプールの街並みを眺める。

パーソナルスペース

人は踏み込まれたくない距離感というものを誰しもが持つ。
いわゆるパーソナルスペースと呼ばれるものだ。
そこへ入ることができるのは愛する人や友人といった心を許した者だけだ。

上京してから2年半が経つ。
新宿渋谷の人混みや満員電車にも慣れたといえば慣れた。
しかし、パーソナルスペースを人に平気で踏み込まれるという状況にはやはりストレスが溜まる。

「都会」という環境では、人は簡単にパーソナルスペースを踏み越える。
簡単に踏み越えてしまう割にお互い無関心で、人が次第にゲーム上のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)か何かのように思えてくる。

NPCであるが故に、肩がぶつかっても謝りもしないし満員電車で押し合いへし合いをする。何をやってもいい気がしてくる。写真を撮ってネットに晒したりする。

ただ上に書いた通り、海外でもパーソナルスペースは簡単に踏み越えられてしまう。
それは東京に限ったことではない。(そりゃそうだ)

狭いスペースに縮こまっているとめちゃくちゃ幅をとってくる人は多い。
腕が当たるのが嫌で縮こまろうとすると、もっともっと幅を取ってくるのだ。

まぁ、人混みってどこもそんなもんか、と思いつつ。

ヤマアラシのジレンマ

東京の人口密度は世界一だ。
人が多すぎるが故にパーソナルスペースを守ることができない。
その防衛機制として、他者への無関心(人のNPC化)があるのではないだろうか。

あれだけの人が乗っているのにも関わらず異様に電車内が静かであることも、人のNPC化を助長する。

目の前にいる人は、本当に人なんだろうか?
東京の人混みの中にいると、強く思う。

東京での人混みと、それ以外の日本の地方都市での人混みは明らかに性質が違う。

普段からパーソナルスペースを保った人同士が混ざり合う人混みでは、お互いに踏み込まれるのが嫌なので、そこには思いやりや気遣いが生まれる。

パーソナルスペースを保てない人同士の人混みは言わずもがな。
これが人混みにいても孤独を感じる理由だと思う。

人とは適度に距離感が必要だ。

人は一人では生きてはいけないが、
近すぎるが故に無関心になっていくこともある。

つづく