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GO PRO持って外へ行こう
朝になった。
今日も近所の売店で買ったカップ麺を食う。
お湯を沸かすポットが沸騰するときに結構暴れるのが何となく面白かったので動画に撮った。
(帰国して見てみたらそんなにであった。)
虫撮りベトナム遠征編動画は既に始まっていたのである。
本当に最後の最後まで迷ったことなのであるが、僕自身がしゃべる動画を作るかそれともただひたすらにベトナムの風景を映し出したものだけに留めておくのか。
とりあえずは僕がべらべらしゃべると言う動画を想定して、オープニングを撮った。
周りの観光客がチラチラと僕の方を見ていたが、気にせず続けた。
どうせ日本語だからここで何しゃべっても誰にもわからんのだ。
そんな気持ちが僕を強くした。
サパの様子なんかを説明したのであるが、如何せんしゃべるのが下手なのである。
まあ、それはいい。
道中、カメラには収められなかったがイシガキチョウを見つけたり、名前のわからない蝉なんかをカメラに収めたりした。
サパのおばちゃんにしばらく後ろを尾けられたりもした。
坂がきつかったのでヒザが痛くなってしまい、歩くのが辛くなった。
てなことをずっとカメラに回していたのである。
客観的に見る自分の姿について
自分の映った姿を動画で見ると、今まで見えてこなかった自分の姿というものがはっきりと映ってしまうものだ。
自分が思っていた以上に性悪に見えるというかちょいちょい嫌みを言っているような感じを受けたのである。
(まぁおばちゃんに追いかけられていたのでそれに対するボヤきを言いまくったのだが)
普段も他者に対してこんな風なんだろうかと思うと反省しなければなぁという気持ちになった。
とはいえ自分の姿が映った動画を編集するのはなかなか勇気のいる作業で、自分のことが余程好きでないと続かないと思う。
正直他の人に編集任せたい気分にもなるのである。
後日その動画を編集しようとしていたのであるが、自分の映ったシーンは削除してサパの景色を映し出した雰囲気動画にすることにした。(まだ編集終わっていない)
撮ってる最中は夢中だったので楽しかったが、東京のお家に帰って撮った素材を見ると何がしたかったのかよくわからなくなったという。
ミサンガ売りの少女再び
とりあえずでも撮っておいてよかったなと個人的に思ったことはミサンガ売りの少女からミサンガを買う場面を押さえられたことだ。
こちらの記事を参照
サパ初日とほぼ同じルートたどったので、ミサンガ売りの少女に再び出会えたのだ。
映像を仕事にしていて「何のために映像を撮るのか」ということをよく考える。
こちらの記事もよかったらどうぞ。
基本的には映像なんか無くったって人間は生きていけるし、映像なんかで社会は変わらない。
しかしながら、少し前にこんなことがあったらしい。
カンボジアの観光客が撮った一本の動画である。
この動画によって、何ヶ国語も言語を話すことのできる少年の人生が180°変わってしまったのだ。
映像という手段を用いて、普段あまり目にすることのできない事象に誰かがフォーカスを当てることで何かを変える原動力になっているのかもしれない。
少年は運が良かったが、世界にはまだまだ多くの「ミサンガ売りの子供」が存在しているという事実を忘れてはならない。
つづく