妻観察記

徒然なる結婚コラム その5 夢とやりたいこと

夢とやりたいこと

暇な時間があるとしょっちゅう妻とテラスハウスをNETFLIXで観ている。
人間観察が好きな我々にとって、テラスハウスは大好物だ。
人ってこういうところあるね、とかこんなことしたら人は傷つくとかそういうのを垣間見れて勉強になることは多い。(やらせだとかテラハにまつわる色んなスキャンダルも含めてね)

そんなテラスハウスでよく出てくるのが
「なんか夢ないの?」
みたいな言葉である。

夢に向かって頑張ってる人は確かにカッコいいとは思う。
ただ、その「夢に向かって頑張ってる人」が「夢なんて特に無い」という人に対して厳しく詰め寄るというシーンをよく観る。

そんなシーンを観ていて、いつも妻と一緒に
「こういう人怖いよね」
と話す。

夢を持ってる人も夢の無い人も、みんな何故か夢に対して厳しい。
夢を持ってる人は夢の無い人に対して「なんで夢ないの?」と言う。
反対に、夢の無い人は夢を持ってる人に対して「いつまでも夢ばっか見てんじゃないよ」なんてことを言う。

別にそんなに白黒はっきりしなきゃいけないもんかね?と最近僕は思う。

僕もちょっと前まで自主映画を作っていたので、結構暑苦しく夢について語っていたように思う。
今思い返せばしんどいだけであまり楽しいもんじゃなかったというか、夢に縛られていたというか。

夢だからといって、それは別にやらなきゃいけないことでもないし、疲れてきたら辞めてしまえばいいものだ。

僕の中で人に語った「映画を作る」という夢が呪縛になっていたのだ。(別に他人はそこまで気にしていないんだけどね)

結果として、映画作るのはもういいや。代わりに自分のやりたいことをやろう(海外を旅するとか昆虫の写真撮る)という風になってから気持ちがかなり楽になった。

正直、「夢」は重い。
我々は小さいころから将来の夢は何ですか?と刷り込まれてきた。
自分の好きなやりたいことは何ですか?という風に聞かれたことは無い。

自主映画について語る会 その2「成るよりも何かしろ」大人になったら何に成りたい? 多くの人が子供の頃に、「大人になったら何に成りたい?」 という質問をされてきたと思う。 僕は...

「やりたいこと」と言わず、「夢」というふうにするから、
コロコロと夢が変わる(つまりやりたいことが変わる)人に対して、この前の夢はどうなった?みたいに強く当たるんだと思う。

テラハの中でも、これやりたいあれやりたいみたいな人は大抵叩かれる。
スタジオのメンバーにも叩かれている。

ただ、僕はこう思うのである。
やりたいことがたくさんある人ほど成功するのではなかろうかと。

面白そうだ、やってみようと言う人は行動するのが早い。
思いついたらすぐにやってみて、ある程度やったらまた別のことを始める。
その繰り返し繰り返しで得た知識を、また新しくやりたいことに生かす。

多分、やりたいことが多い人はだいたい経営者とかになってる。(ZOZOとか)
幅広くやればリスクも分散される。だから強い。

今の時代、インターネットというものがあるので自分自身の発信はかなり容易だ。
上手くこなせば一つのことだけじゃなくて色々なやりたいことができるはず。

だから「バンドマンになる夢がある」などと言ってアマチュアバンドマンが何もかも捨て去って音楽活動に集中するというのも如何なものかなと思ったりもする。
仕事行く傍で、スマホで作曲したりとかYouTubeやら色んな媒体で曲を発表していけばいい。

もはや「夢」を追う時代は終わり、色んなやりたいことをやる時代が来たのだ。

つづく