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台風が来る
ベトナムへと旅立つ前、おかんから何通かLINEが来た。
飛行機に台風が直撃するのではないか?という心配のLINEであった。
昔からおかんは何をするにしても心配性であったので、(こちらの記事を参照)
またいつもの心配性が出たなと感じた。
もし台風がひどくなれば欠航になるはずだからその時はその時だと僕は思い、流した。
が、何か引っかかっる感じが否めない。
今回ばかりは「ひょっとすると…」みたいな大きなことが起きてしまうのではないか、そう思った。
旅立つ1週間ほど前に、沢木耕太郎著「イルカと墜落」という本を読んだ。
イルカと墜落 (文春文庫)
内容は沢木耕太郎氏がアマゾンを旅した時の記録なのであるが、タイトルにある通り「墜落」がテーマとなっている。
向田邦子や911、筆者自身の体験など飛行機の墜落にまつわる話が多数登場する。
明らかに飛行機で海外へ行く前に読む類の本ではない。
タイトルにある「墜落」とは人間的な意味での墜落を意味するものかと思いこの本を手にしたが、
本当にそのままの意味での墜落なのであった。
台風は日本列島のすぐそば。
ひょっとしてがあるんじゃないかなと思いつつ、飛行機に乗り込んだ。
「死はただそこにあるもの」
飛行機は飛んだ。
台風を避ける針路をとるため、到着が1時間ほど遅れる見込みだという。
夜行列車に乗るのを諦めようと思った。
離陸してから1時間ほどは何事も無いかのように飛行を続けていたが、
シートベルト着用のランプが点灯すると機内が揺れ始めた。
巨大な雲の塊が迫っていた。
機体のすく近くを稲妻が走る。
もしも墜落するようなことになったらそのときはどうすればよいか、ということを考えた。
しかしどんな想像も何かしらの映画の1シーンのイメージに過ぎず、実際に飛行機が堕ち始めるのとは絶対に違う。
沢木耕太郎も言うように、「死はただそこにあるもの」だという。
生きた人間が想像する死と、死に直面している人間が迎える死は明らかに異なる。
勝手な想像ではあるが、死ぬことは思っていたのよりもあっけなく、
映画『愛のむきだし』でヒロインのヨウコがモノローグで語っていた「扉をノックされる感じ」のもので案外心地いいものが待っているのかもしれない。
愛のむきだし
結局のところ、1回死んでみないとわからないことだ。
だから考えても仕方がないし死について考えるのは暇だからだと人によく言われるが、本当に考えなくてもよいことだろうか?と僕は常々思う。
死についてあまり考えない割に老後の心配をしたりするのが理解できない。
若者が老後の心配をする社会ってどうよ?
夢が夢で終わる人生
飛行機は無事に台風の横をすり抜け、機体の揺れも収まった。
到着時間もほぼ定刻通りになりそうだった。
到着時間が迫り来る頃、座席のモニターに一つの映像が映し出された。
それはベトナム航空のプロモーション映像だった。
とある少年が暮らす貧しい村に女性バックパッカーが訪ねてきた。
少年は女性から1枚の写真をもらう。
その写真に写っていたのは飛行機だった。
少年は想像力を膨らまし、近くにある木やら何やらを集め、自分なりの飛行機を作った。
その飛行機で彼は心の中で世界中を旅した。
という内容だった。
目頭が熱くなった。
あくまでもこれはプロモーション映像なのでこの少年は架空の人物であるのだが、実際にこういう少年がいてもおかしくはないのだとその時感じた。
世界を旅する夢を抱きつつも、自分の貧しさ故に一生を小さな村だけで早々に終えてしまうという人生。
夢が夢だけで早々に終わってしまう人生。
それに比べ自分の人生のなんと恵まれていることか。
好きなものを食べ、好きなところへ行き、何一つ不自由がない暮らし。
必ずしも順風満帆だったとは言えないが、昆虫の写真を撮りに海外旅行ができる自分の人生のなんと恵まれていることか。
そして、心配事といえば老後の暮らし。
そんな生活をしている自分に、あの少年のような子供に対してかわいそうだとか、それでも夢は捨てちゃいけないなどと言う資格があるんだろうか?
子供たちのために何かをしたいと思う前に、そもそも自分の身の回りの人のために何かできているんだろうか?
夢が夢で早々に終わってしまう人生と、老後の心配をする人生。
そんなことを考えているうちに、飛行機は着陸態勢に入った。
つづく